發(fā)布時(shí)間: 2017年08月11日
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「いく」と「ゆく」とは、上代(奈良時(shí)代)から両形が用いられてきました。當(dāng)時(shí)の用例では「ゆく」が圧倒的に多數(shù)ですが、「いく」の例もあります?!喝f葉集』では「いく」の系統(tǒng)に、「伊可(行か)」が2例、「伊加(行か)」が3例、「伊久(行く)」、「伊気(行け)」各1例の計(jì)7例が確認(rèn)されます。
“いく”和“ ゆく”兩種形式從上代(奈良時(shí)代)開始被沿用至今。雖然當(dāng)時(shí)使用的例子中“ゆく”占絕大多數(shù),但是“いく”的例子也有出現(xiàn)?!度f葉集》中“いく”的系統(tǒng)里,已知的有“伊可(行か)”2例,“伊加(行か)”3例,“伊久(行く)”“伊気(行け)”各1例總共7個(gè)例子。
古語での「いく」と「ゆく」との使い分けに関しては、「いく」を主に意志的な動作に使い、「ゆく」を主に自然な事象の推移に使うと見る考えがあります。しかし、萬葉集に「我が兄子(せこ)は玉にもがもな手に纏(ま)きて見つつ行(ゆ)かむを置きて往(い)かば惜し」(巻十七3990:表記は『校注國歌大系』による)という例(同じ歌に両方の形があるもの)があり、確実なことはわかりません(但、東歌などに「いく」が見られることから、「ゆく」より「いく」が卑俗なイメージを持っていたのではと推測することはできます)。
一般認(rèn)為古日語中關(guān)于“いく”和“ ゆく”的使用區(qū)別在于“いく”用于意志性的動作,“ゆく”用于自然現(xiàn)象的發(fā)展變遷。不過,萬葉集中也有“我が兄子(せこ)は玉にもがもな手に纏(ま)きて見つつ行(ゆ)かむを置きて往(い)かば惜し”(卷十七3990:出自《校注國歌大系》)這樣的例子(同一首詩歌中使用了兩種用法),所以不能確定“いく”和“ ゆく”的區(qū)別是否如上所述(然而,在東歌之類的詩歌中出現(xiàn)了“いく”的用法,由此推測相比“ゆく”,“ いく”則更具下里巴人的感覺)。
また、「いく」の方が歴史的に新しい形だという説があるものの、逆に「いく」を古形とする解釈もあり、歴史的な発生の先後関係についても確実なことはわかりません。
另外,有人認(rèn)為“いく”是歷史性的新的變形,而反過來也有人認(rèn)為“いく”是古日語中的用法,究竟是新是舊就不得而知了。
「いく」と「ゆく」との違いは、意味や発生においては明確にできませんが、「ゆく」に促音便の「ゆって」という形がない(但、訓(xùn)點(diǎn)資料ではイ音便の「ゆいて」の例があります)という點(diǎn)では明らかです?!袱い工舜僖舯悚巍袱い盲啤工ⅳ?、「ゆく」にないということは、両者が異なる環(huán)境(ジャンルやスタイル)で用いられる傾向があったことを示しています。音便に関しては、和歌で他の文章より例が少なく、訓(xùn)點(diǎn)資料(漢文)で特殊な形(特殊な音便形)が使用されるなど、ジャンルによって現(xiàn)われ方に違いのあることが知られています。また、文章語と口頭語とのスタイルの違いによっても音便形の出現(xiàn)に違いがあると考えるのが自然です。音便は、より発音しやすい形へと語形が変化する現(xiàn)象と見なしうるものですから、音便形の有無は口頭語での使用頻度を反映するものと推測することができるのです。
雖然從意思和動作的發(fā)生來看,“いく”和“ ゆく”的不同點(diǎn)不是很明確,但是可以確定“ゆく”沒有促音變形“ゆって”(不過,在訓(xùn)點(diǎn)資料中有イ音變形“ゆいて”的例子)?!挨い庇写僖糇冃巍挨い盲啤倍? ゆく”沒有,這表明兩者的使用環(huán)境(流派或文體)是不同的。關(guān)于發(fā)音變形,和歌中的例子比別的文章來得少,而在訓(xùn)點(diǎn)資料(漢文)中會有特殊的變形(特殊的發(fā)音變化),由此可知根據(jù)文體所呈現(xiàn)的形式也有所不同。更進(jìn)一步來說,由于文章語和口頭語的區(qū)別,與之對應(yīng)的發(fā)音變化也會有所不同這種論點(diǎn)的出現(xiàn)也是理所當(dāng)然的。音便(發(fā)音變化)可以看作是為了更方便的發(fā)音而產(chǎn)生的語言形式的變化現(xiàn)象,因此,可以將發(fā)音變形的有無作為一種依據(jù)來推測某一詞匯在口語中的使用頻率。
実際に、「いく」と「ゆく」との用例を見ると、室町時(shí)代を過ぎるまでは「ゆく」が一般的で、特に和歌や訓(xùn)點(diǎn)資料(いわゆる漢文體の書き言葉)では「ゆく」が圧倒的に多くなっています。逆に、中古の和文系の資料(源氏物語など)では「いく」の例もかなり見られます(ただ、全體的には「ゆく」が優(yōu)勢です)。その後、近世になると、「いく」は口頭語を中心に用いられるようになり、次第に「ゆく」を凌駕してゆきます?,F(xiàn)代語でも「いく」がより口頭語的だという語感があると思われます。そのため、現(xiàn)代語でも「去りゆく(季節(jié))」「散りゆく(桜)」など文章語的な色彩の濃い表現(xiàn)では「ゆく」が使われ「いく」とはいえません。
實(shí)際上,通過例子我們可以知道,直到室町時(shí)代結(jié)束,一般情況下用的都是“ゆく”,尤其是在和歌或者訓(xùn)點(diǎn)資料(即使用古漢語的書面語)中,“ゆく”的使用占了絕大多數(shù)。而相對的,平安時(shí)代的和文系資料(諸如源氏物語)中“いく”的例子則較為常見(只不過就整體而言“ゆく”仍然占優(yōu)勢)。之后到了江戶時(shí)代,“いく”主要作為口頭語開始被人們所使用,并漸漸地超越了“ゆく”?,F(xiàn)代語當(dāng)中也視“いく”為更具口語語感的用法。因此,即使是現(xiàn)代語,“去りゆく(季節(jié))”(季節(jié)流逝)、“散りゆく(桜)”(櫻花飄零)等等文學(xué)色彩濃郁的表現(xiàn)手法當(dāng)中都使用“ゆく”而不是“いく”。
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